Sparkles United


A lot of pedaling
May 26, 2009, 6:13 am
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I finally accepted myself of taking a time off from my French study and playing piano. OK, piano, I am still playing, but rather sporadically.
What I have been doing or thinking about doing now is actually spinning.
Spinningとは糸を紡ぐことを意味する動詞です。Spinという言葉は古くから変わらず使われてきたらしく、それだけ古くから同じ方法で糸を紡いで生地に仕立てて、という行為が行われてきたことを物語っています。う~ん、ロマンを感じる。
なぜ繊維を束ねてよじる行為をSpinというのかというと、それは紡ぐ際に使う道具に関係しています。細い繊維を延々と捩っていくには、道具が欠かせません。道具といっても実は棒が一本あれば良くて、棒に糸を取り付けそこに繊維を絡ませて、棒を駒のように回転させます。するとヒネリが繊維に伝わってどんどん捩れ、糸が出来てきます。ひねっただけでバラバラの繊維がどんどん巻き込まれ糸になっていく様はとても不思議ですし、誰かが発見して何千年も伝わってきたのかと想像すると、心がすぐに違う世界へ旅立ってしまいそうです。
棒をより良く回転させるために円盤のようなものを取り付けた(駒のような)スピンドルという道具は、9000年以上前から少しずつ改良されながら使われてきたそうです(Wikipediaによると最初の糸が見つかったのは2万年ほど前で、棒より以前は石が使われていたらしい)。紡ぎ車はおそらくもっと最近で、でも13世紀には中東や中国やヨーロッパで絵などに描かれています。紡ぎ車もspinning wheelといい、車を回転させることでよじれを糸に伝える点は同じ。
ちなみに、産業革命時代の大発明はもちろん蒸気機関ですが、同時期に発明されたのがSpinning Jennyとうい機械(というか器械)で、これは1つのホイールで複数の糸がよじれる比較的単純なものです。これが繊維産業の大発展をもたらしたのだから、すごいものです。それまで600年(か、それ以上)使われてきた道具が一人のアイデアで突然生産性が何倍にもなって、世界中の産業に影響を与えるんだ。農業もそうですが、そいうった突然変異的な産業の発展が歴史に与える影響を考えると、非常に興味深く思います。
まあ、そんなことはどうでもよくて、太古の昔の人がやっていた同じやり方で糸を紡いで、そしてそれを編んで(はた織りも面白いらしい)使うというのが、歴史の糸に繋がった感じがしてちょっとワクワクしてくるのです。
と、もっともらしい話をだらだら書いたのですが、なぜ毛糸を紡ぎたいと思い始めたかというと、それは毛を買いたいから!羊毛(やシルクやアルパカやコットン)は紡いでから染める方法と、染めてから紡ぐ方法があります。インターネットを見ていると、インディーズの染色作家のような人が沢山いて、その人たちの染めている羊毛がそれは素敵なのです。


毛糸も様々素敵なものがあるのですが、染色された羊毛があまりにも美しくて、絶対これだ!みたいな感じ。。。それで最近紡ぎの講習に吉祥寺に通い詰め、慣れてきたので紡ぎ車を買うことにしました。たぶん今週届くので、そしたらまた写真を載せます。今は色々と本を読んでお勉強中です。
A Lot of Paddlingっていうのは何かというと、ひとつは紡ぎ車を回すのに足でペダルを沢山漕ぐからですね。もうひとつは。。。自転車を買おうかな、と。最近あまりにも気候がいいので、気分はサイクリング!今日もほんとうは会社をサボってどこかに出かけたい気分です。



文学史観にうなづく
May 10, 2007, 10:00 am
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新潮選書 世界文学を読みほどく (新潮選書)
評価:★★★★★

小説以外の本で久しぶりに夢中で読みました(文学論なのである意味、物語的ですが)。池澤夏樹さんが京都大学の文学部で、夏休みに行った一週間の集中講義を書き起こしたものです。7日間に亘り午前と午後ひとコマずつの講義でそれぞれ1作品、計10作品(加えイントロおよび総括)が紹介されています。
小説を読むのは好きですが、これまで文学論というものに全く興味を持ってきませんでした。「大学の文学部ってそもそも何のためにあるのか?文学部の教授って一生かかって小説の何を研究することがあるのか?」と思っていた訳です。文学も解釈の仕様によって世の中を読み解く鍵になったり、言葉の奥に現実を映す豊かな世界が広がっている、というのは正直驚きです。だって小説はそもそも人が創作したものであり、確かに時代の文化風土を反映しているかもしれないけど、時代を読み解くというのは大袈裟じゃないか、なんとでも解釈できるのではないか、人の作ったものをああでもない、こうでもないと穿り返すのは時間の無駄じゃないかと思っていたので。
子どものころからそう思っていたので、国語のテストなどいつも全然ダメでした。人が小説を解釈するのに正解なんてあるのか?と疑っていたせい。
正解があるかはともかくとして、解釈によってより豊かな世界に導かれるというのはあるかもしれない、と思った最初の経験はある映画です。「Prince & Me(邦題はなぜかプリティ・プリンセス)」という若い女の子向けのラブ・コメディがあって、普通だったら1回観て「ふうん」っていうくらいの映画なのですが、ある1シーンが好きで何度も観ています。それはシェークスピアのソネットの1文を主役の2人が議論する場面です。
主人公の女の子は医者志望で超努力家である一方、文学などは全く苦手で、(何故か)必修のシェークスピアの授業に苦労しています。シェークスピアの詩を読んでもさっぱり何が言いたいのか分からず、デンマークからの留学生(デンマークの皇太子という設定で、ある意味ハムレットと比喩を成している)に助けを求める。詩の解釈を教えてもらったヒロインは「だったらなんで最初からハッキリそう書かないの」とシェークスピアに対して腹を立てます。そこで彼が言うひとことが好き。「People rarely say what they mean. That’s the interesting part」。超当たり前といえば当たり前ですが、でも確かにそうだなあと思うのです。また、朗読するシェークスピアの詩がとても美しくて、いつか読んでみたい、と観るたびに惹かれてしまいます。
(映画自体は、別に特におススメするほどではなくて、「こんなの何度も観てるんだ」と思われるのが恥ずかしいかも。演技もイマイチだし。米国Yahoo!Movies(?)では「Better than expected」と書かれていましたが。)

ともかくとして、本書では19世紀から現代までの海外著名文学書が紹介されています。全部いつか読んでみたいと思っていて先送りにしていたものばかり。パルムの僧院、カラマーゾフの兄弟、ユリシーズ、百年の孤独、など。どれも荒筋さえ知らなかったので、大まかなストーリー、何故その作品がすごいか、作者が何を考えてそれを書いたか、そこからその国(ロシアやフランスやアメリカなど)の時代のどんな空気が読み取れるか、が分かって非常に面白かった。小説の書き方というのも、語り手と登場人物との距離のとり方、小説に出てくる世界の区切り方で色々な手法があるものだということも新鮮でした(つまりこれが「文体」というものなのか!)。また、その距離感というのが作者の世界観、しいては時代の色を理解するのに効いてくる。池澤さんはそれらの作品を通し、この約170年間で人間の認識する世界観がどれ位変わってきているかと読み解くことを講義の目的とされていて、それもまた面白かった。
密度は非常に濃いですが、口述筆記形式なので大変読みやすい一冊です。これを読んで、上に挙げた4作品は読まなきゃ!と思いました。

>続きをクリックすると、映画のそのシーンのQuoteに。 Continue reading



文明崩壊
March 25, 2007, 9:11 am
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文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

評価:★★★★

他にも一杯ある読みかけの本と平行して、これも読んでます。やっとモンタナの章を読み終えました。すごく面白いです。素直に思ったことは、これ。

My god, there’s so much to the world than helping troubled companies…
大学生のとき「森と文明」という本を読みました。同じタイトルでいろんな人が著作しているようですが、ジョン・パーリンという人の本です。その後で環境経済専攻に進んだ気がするので、多分2年のときだと思います。
それまで紛争の解決なんかに興味があって国際関係学科に進んだわけですが、国際法とか国際政治とか、いかにも官僚的な制度の勉強ばかりで解決策に一歩も近づいていない感じがイヤになっていたところに、ボスニア紛争に出会いました。
ボスニア紛争は民族や宗教の紛争だと多くの人が知らされていると思うのですが、これは資源をめぐる出口無き紛争だったのです。たまたま指導者にとって便利だった単位が「民族」であっただけ。別にそもそもボスニア人とセルビア人が戦争をするほど憎み合っていた訳ではありません(多分)。戦争をしているうちに、どうしようもない憎みあいの連鎖が生まれてしまっただけ。一番北のスロベニアが、次にクロアチアが「一抜けた」といってEUに加入すべく独立してしまったので、残った地域は益々貧しくなりました。で、工業地域がなくなって何で食べていこうと思ったときに、農業に適した土地がかなり少ないことに気が付きました。豊かな土地をめぐって戦争を始めました。
国連が軍隊を送ったり条約を作ったりいくら頑張ってみても、結局は経済、それを支える環境、そして環境を支える私たちの生活パターンや都市のあり方が問題だな、と思いました。といって環境政策や都市計画を勉強してみて、法律やReinforcementも大事だということに気付かされるわけですが・・・
ともあれ、モンタナの環境問題、そして都市問題、経済問題について読むうちに、頭の中がぐるぐるして来ました。わたしはここでこうしていていいのだろうか・・・今できることを一歩ずつ頑張るしかないのだけれど。

ちなみに「森と文明」について殆ど何も説明していないことに気付きましたが、「文明崩壊」と似た内容の本です。人類がいかに森林を破壊しつくして土壌をダメにし、その結果より大きな木材を求めて周辺地域を侵略していったか、(その時代の経済基盤が木材の消費を前提としていたため)木材不足や土壌破壊のため国力が落ちて国が崩壊していった過程が描かれています。そういったことは以前から既に解明され共有されていたことなのですが、ここへ来てJared Diamondの本がこんなに話題になっているのは、彼の知名度だけが理由なのではなく、世界的に環境問題にたいする切迫感が高まっているということだろうな、と思います。Diamondの本にどれくらい新しさがあるか、これから読んでみたいとおもいます。